『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』リバイバルで蘇る“炎”の意志 いま振り返る猗窩座の悲劇

『「鬼滅の刃」無限列車編』猗窩座の悲劇

 来たる7月18日、いよいよ鬼殺隊と鬼舞辻無惨ら鬼たちとの、最後の戦いが始まる。『劇場版「鬼滅の刃」無限城編』(以下、『無限城編』)第一章が公開されるのだ。それに先立ち、5月9日より『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』(以下、『無限列車編』)がリバイバル上映される。

 この『無限列車編』は、2020年の年間興行収入世界第1位を記録したほどの、スーパーメガヒット作である。そして、筆者の映画鑑賞遍歴中、最も泣いた作品でもある。すすり泣きの声は随所から聞こえてきたが、筆者は声を上げて泣いた。公共の場で号泣する40代男性というのは、なかなかにみっともない存在ではある。だが、耐えられなかったものは仕方がない。隣の妻は引いていたが、筆者は悪くない。今でもLiSAの「炎」を聴くと、パブロフ的にこみ上げるものがある。

 2021年には、6分割してテレビシリーズとしても放送された(新規エピソードを含めると全7話)。正直に申し上げると、そのときはやや食傷気味に感じた。煉獄杏寿郎の死を、安いものにしないでほしかった。劇場版未見でテレビ版で初めて『無限列車編』を観た友人からは、「別に泣くほどではなかった」との感想を頂いた。当然だ。映画というものは、2時間集中して観た末の感動を前提に作られているものである。それをブツ切りにして1週間も間を開けながらの鑑賞となると、感動が薄れるのも致し方ない。

 だからこそ今回のリバイバル上映で、もう一度あの感動を思い出してほしい。また、今作を再見する理由は感動だけではない。というのも『無限城編』第一章でおそらく、竈門炭治郎と猗窩座の邂逅が描かれると思われる(尺の関係上、決着まで描かれるかはわからないが)。その前に、煉獄杏寿郎と猗窩座の至高の戦いを観て、予習をしていてほしいのだ。

 猗窩座は、常に徒手空拳で戦う。彼が使うのは、素手による突き蹴りのみだ。彼が武器に対して素手で戦う理由は、人間時代のある悲しい理由に基づいている。ネタバレになるため詳述は避けるが、『無限城編』第一章、もしくは第二章で明らかになるはずだ。彼は武器、特に日本刀に憎しみを抱いている。

 猗窩座は、煉獄杏寿郎を「お前も鬼にならないか?」と誘う。何度拒まれても、しつこく誘う。自らの拳が煉獄のみぞおちを貫通し、致命傷を与えたことを確信した際は、「死ぬ……!! 死んでしまうぞ杏寿郎!! 鬼になれ!! 鬼になると言え!!」と哀願する。強者との戦いを楽しみながらも、できることなら殺したくはない。仲間になってほしい。

 猗窩座は、なぜここまで煉獄にシンパシーを抱くのか。煉獄の、強さ、明るさ、前向きさ、そして、弱者への優しさ。これらの要素が、人間時代の猗窩座の記憶を刺激するのだろう。もう忘れたはずの、ある人物を思い出すのだろう。鬼になった時点で猗窩座は人間時代の記憶を失っているはずだが、彼の思考や行動から戦い方に至るまで、人間だった頃の名残が色濃く残っている。先述の素手へのこだわり、煉獄へのシンパシー、そして、術式展開の際に地面に浮き出る模様が、なぜ雪の結晶の形をしているのか。『無限城編』でこれらすべての理由が明らかになったとき、筆者はおそらくどうしようもないぐらいに泣いてしまうと思う。

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