坂元裕二はなぜ“落下”を描き続けるのか 『片思い世界』まで綿々と続くモチーフを分析

坂元裕二が脚本を手がけた『片思い世界』が公開中だ。『花束みたいな恋をした』(2021年)や前作『ファーストキス 1ST KISS』(2025年)といった、台詞回しの巧みな職人的技芸を好む向きからは期待通りと言えないかもしれないが、しかし坂元裕二の間違いなく新たな代表作の誕生だ。『それでも、生きてゆく』(2011年/フジテレビ系)以来の最高傑作と言っても過言ではない。
物語を構成するヒロインは3人。立派な企業勤めの美咲(広瀬すず)に、大学生の優花(杉咲花)、水族館でバイト中のさくら(清原果耶)はけっして血が繋がっているわけではないものの、まるで一心同体のように12年間毎日和やかに、心愉しく、ひっそりと静かに暮らしている。だが彼女たちのひそやかさには何やら訳がありそうで……。

物語は不吉な落下からはじまる。冒頭では3人の子供時代がほんの束の間プロローグとして提示されるのだが、幼い美咲(太田結乃)は子供たちの合唱団に所属していて歌劇を創作中だ。友人の典真(林新竜)を探すために廊下の道を歩いている最中に彼女は歌劇の台本を床に落としてしまう。その後教室に戻ると今度は同じ団員の幼いさくら(石塚七菜子)がラムネ菓子を袋から床に取りこぼす。この落下の運動がまず物語に不気味な緊張感を与えて観る者を刺激してゆく。
こうした落下のモチーフの頻出は坂元自身、筒井武文によるインタビューで認めている。筒井が「坂元さんって、何か物を落とす描写をどこかに入れてきますよね」と問うと、「藝大でもよく言ってたんですけど、“物が落ちる”とか“お皿が割れる”とか、生活している上で起きる小さなエッジはどんどん入れないと、お話のトーンが弱くなる。僕はテレビドラマで、セットで人がしゃべってるだけの物語を書いてきたので、そこは大事にしていて。“転ぶ”、“ぶつかる”、“落ちる”は常に入れるようにしています」と物語の単調さを突き破るアクションの提示として「落ちること」はたしかに重要だと語っていた(『キネマ旬報』2025年1月号)。
坂元裕二作品における「落下」の意味
加えて坂元のドラマにとって、落下することは多くの場合不吉でネガティブなシンボルだった。彼の作品歴における落下の解剖学をまずは試みてみよう。
たとえば『問題のあるレストラン』(2015年/フジテレビ系)の主人公田中たま子(真木よう子)が経営するビストロは、スプーンが屋上から落下するアクシデントによって店を畳まざるを得なくなる。
あるいは『大豆田とわ子と三人の元夫』(2021年/カンテレ・フジテレビ系)では、元夫のひとりが飲もうとするコーヒーに塩を落とすとわ子(松たか子)がそのコーヒーを誤って自分で飲んでしまったり、マグカップを自宅の床にこぼした彼女が直後に会社へと出社すると、社長になってしまった自分の肩身の狭さをまざまざと味わざるを得ない場面に繋がっていた。
一方『初恋の悪魔』(2022年/日本テレビ系)では松岡茉優と仲野大賀演じる男女が居酒屋で飲み合うなか、仲野がアルコールの入った飲み物をテーブルに落下させた直後から松岡が自身の記憶をめぐる謎を告白することによってドラマに不穏な気配を導入していく。
こうしてアットランダムに坂元作品の落下のモチーフを並べてみるとき、とりわけ大きな比重を占めているのが液体の落下であることに気づかれるのではないだろうか。
そんな液体が落ちることの意味を、坂元裕二は『カルテット』(2017年/TBS系)の第1話であまりにも雄弁に語っている。言わずと知れた、あの唐揚げにレモンを落とす場面だ。勝手にレモンの汁を唐揚げへと落としてゆく別府(松田龍平)に家森(高橋一生)は問い詰める。
別府くん、唐揚げは洗える? レモンするってことはね、不可逆なんだよ。二度と元には戻れないの。(『カルテット』より)
液体が落ちることは、「不可逆」であり後戻りすることが不可能な徹頭徹尾一度限りの重大な出来事なのだ。これは出世作『東京ラブストーリー』(1991年/フジテレビ系)以来変わることないドラマツルギーであり、たとえばこの作品の第8話でリカ(鈴木保奈美)との関係が不可逆的に壊れたとき、主人公のカンチ(織田裕二)は水道からただ静かにぽたぽたと水が落ちてゆく部屋でひとり孤独に物思いへと耽る。
また坂元作品では、この液体の不条理な落下の変奏として、多くのヒロインが「二度と元には戻れない」ような心理的負荷を被るときに涙を落としてゆく。『カルテット』で別府を恋慕するすずめ(満島ひかり)はその恋が実らないことを悟ってひとりで涙を流し、『花束みたいな恋をした』の絹(有村架純)は就活中のパラハワに耐えきれず滂沱の涙を麦(菅田将暉)の胸で流し続ける。