『べらぼう』の副題「蔦重栄華乃夢噺」の意味を解説 “夢”の描き方は森下佳子脚本の真骨頂

大河ドラマ『べらぼう』(NHK総合)第12話が描いた「祭り」の場面は、現時点において本作が描いてきたことのすべてが詰まった集大成とも言えるのではないだろうか。
横浜流星演じる主人公・蔦屋重三郎が最初一人で描いていた「吉原を何とかしたい」という夢は、気づけば小芝風花演じる瀬川(花の井/瀬以)とともに見続ける「昼間の夢」になった。そして気づけば、彼の夢、彼の熱い思いに突き動かされるように、“忘八”こと女郎屋の主人たちもまた同じ夢を見ている。

それが形になったかのような「俄祭り」の最終日に、珍しく喧嘩せず同じ方向を向いて踊る人々。さらに、そんな彼らを楽しそうに見ている蔦重と、勝川春章(前野朋哉)、北尾重政(橋本淳)、平沢常富(尾美としのり)といった絵師・戯作者たちもまた、創作という形で「同じ夢」を見る仲間たちである。
一方、少し毛色の違った夢を見ている2人もいる。それは「祭りは神様が来ているから常には起こらないことが起こる」ことを期待して、再び雑踏の中に紛れ2人で「ただ幸せになりたい」という「夢のまた夢」を見るうつせみ(小野花梨)と新之助(井之脇海)のこと。
そんな皆の「夢」が凝縮されたかのような光景の末の「けれど、それは俄かのこと。目覚めれば終わる、仮初めのひと時」という九郎助稲荷(綾瀬はるか)のナレーションにヒヤリとさせられた視聴者は少なくはないだろう。
『べらぼう』は、蔦重が描く壮大な夢物語だ。一方で、夢は現実の合わせ鏡となって、現実の吉原を、過酷な女郎たちの現実を、容赦なく描き出す。全くもって『おんな城主 直虎』(NHK総合)『大奥』(NHK総合)、『JIN-仁―』(TBS系)の森下佳子脚本の真髄を目の当たりにする日々である。
蔦重の直接の仕事ではないが、本作の蔦重曰く「俺が聞き回ったネタで鱗形屋が作った」「めっぽうおもしろい本」であり、当時一大ブームを築いていた青本『金々先生栄花夢』は、第8回で「それはある田舎者の若者がうたた寝する間に見た夢の話」「そこに描かれた人の振る舞いや言葉、風俗はとてもリアルで、画期的な読み物に仕上がっておりました」と語られる。副題に「蔦重栄華乃夢噺」とあるように、本作もまた、夢を見せる/語る/見る登場人物たちを描きつつ、その裏にある現実の過酷さを目の当たりにして思わず息を呑む。

まずは「見せる」。小芝風花演じる瀬川の美しい花魁道中は、まさに夢のような美しさだ。でもその裏側の彼女の「務め」の過酷さを第9回で視聴者は蔦重とともに目の当たりにした。
次に「語る」。第10回で蔦重は平賀源内(安田顕)と須原屋市兵衛(里見浩太朗)相手に「絵に描いた餅」だと言いながら「俺は吉原を昔のように憧れられる場所にしたい」「女郎たちにとって辛い事よりも楽しいことの方が多い場所にしたい」と語る。明るく高らかに夢を語る蔦重の姿にそこにいる人々全員が惹きつけられずにはいられなくなる様子を描く一方で、重ねられるのは、彼の脳裏にある、朝顔(愛希れいか)の亡骸であり、性病に苦しむ女郎たちの姿であり、足抜けに失敗し連れ戻されたうつせみの姿であり、瀬川の姿だった。