『べらぼう』の副題「蔦重栄華乃夢噺」の意味を解説 “夢”の描き方は森下佳子脚本の真骨頂

『べらぼう』副題の意味を解説

 そして「見る」。第11回において、富本豊前太夫となる前の午之助(寛一郎)と市川門之助(濱尾ノリタカ)が見せた「ほんの少しの富本」を見聴きして涙する女郎たちの姿に重ねられるのは、「籠の鳥」である彼女たちが観ることのできない本当の芝居の光景、つまり彼女たちの「夢」であり、彼女たちの「現実」である遊郭の光景である。

 また、蔦重と瀬川の流儀は、朝顔の教え通りの「真のことが分からないなら、できるだけ楽しいことを考える」こと。唐丸(渡邊斗翔)のその後の様子は、2人の想像が生みだしたもので、本当のところはまだ分からないままである。第9回において、ほんのひと時、間夫(まぶ)と女郎の間柄だった蔦重と瀬川もまた、つかの間の夢を見た。それは2人で手に手をとって足抜けする夢。しかしその夢は、うつせみと新之助の足抜けという現実にかき消されていった。その時点では失敗に終わった「現実」の方の2人の足抜けは、第12回における「昼間の夢」のような祭りの中で、果たして「本当」になったのか。夢を現実が拒み、その現実は夢の中に紛れて消えたのだから、どうかそのまま幸せでいてほしいと、視聴者は蔦重たちの流儀よろしく「できるだけ楽しいことを想像する」他ない。

 それはそうと、本作を観ていると思うことがある。瀬川は、伝説の花魁の名跡・瀬川としての務めを果たすべく、もしくは後に続く者たちに夢を見せるべく、蔦重とともに生きるという自分の夢を捨てて、鳥山検校(市原隼人)からの身請け話を受け入れた。片や、第5回における源内の「世の中には人を縛るいろんな理屈があるじゃねえか」「けどそんなものは顧みずに、自らの思いによってのみ、我が心のままに生きる。我がままに生きるってことを自由に生きるっていうのよ。我がままを通してんだからきついのは仕方ねえや」という言葉の強さを思い出す。

 しかし「源内先生みてえに、我がまま通して生きるほどの気概はねえし」と蔦重が言うように、自らの思いによってのみ生きるというのは、誰にとっても、なかなか難しいものである。だからこそ、私たちはつかの間、夢を見る。源内もそうだが、大きな夢を見て、語り、人々を巻き込んでたちまち形にしてみせる蔦重という、めっぽう強い光に憧れる。第13回予告で、瀬以となった瀬川もまた、彼を「光」と言った。彼女の運命はいかに。 

■放送情報
大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
総合:毎週日曜20:00〜放送/翌週土曜13:05〜再放送
BS:毎週日曜18:00〜放送
BSP4K:毎週日曜12:15〜放送/毎週日曜18:00〜再放送
出演:横浜流星、小芝風花、渡辺謙、染谷将太、宮沢氷魚、片岡愛之助
語り:綾瀬はるか
脚本:森下佳子
音楽:ジョン・グラム
制作統括:藤並英樹
プロデューサー:石村将太、松田恭典
演出:大原拓、深川貴志
写真提供=NHK

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