少年少女は“地獄”で何を見つけるのか 『ドラゴン・ハート』は夏休み“王道”の冒険譚に

『ドラゴン・ハート』は夏休み“王道”冒険譚

 製作総指揮・原作を幸福の科学の大川隆法総裁が手掛ける長編アニメ映画『ドラゴン・ハート ─霊界探訪記─』が5月23日から公開。宇宙の創生や文明の誕生、人類を脅かす敵との戦いといった壮大なスケールの作品が続いていた幸福の科学のアニメ映画にあって、今作は現代の日本を舞台に、中学生の少年少女が夏休みに霊界をめぐる旅に出るという冒険ストーリー。分かりやすい展開の中に美しい四国の自然と恐ろしい地獄の様相を織り交ぜて、観る人の心をハッとさせる。

 東京の中学校で登山部の部長を務めている田川竜介。夏休みに計画していた合宿が部員の不参加で中止になって時間を持て余していたところに、四国の徳島県に住んでいる叔母から絵葉書が届いた。四国にも剣山や高越山があると思い至った竜介は、仕事があって行けない母親を残してひとりで徳島を訪れる。

 まずは従妹の佐藤知美と穴吹川に遊びに行った竜介だったが、そこで大変な事態に巻き込まれる。ここから『ドラゴン・ハート ―霊界探訪記―』という本筋が始まることになるが、そこまでの間に描かれる徳島の風景が当初の映画の見どころだ。眉山から見下ろした徳島市の街並みも登場すれば、阿波富士と呼ばれる高越山の眺めの良い姿も登場して、徳島という地域に対する関心を誘う。

 夏休み中ということで、夏の強い日差しと抜けるような青空を再現した背景美術がここでの注目ポイント。現地へのロケハンを行いつつ空気感を写し取ろうとした今掛勇監督を始め制作スタッフの力の入れ具合が伺える。徳島市といえば阿波踊りが有名だが、これもラスト近くに登場して当地感を改めて醸し出す。

 もっとも、こうして徳島の自然や文化が美しくて楽しげに描かれれば描かれるほど、映画が伝えようとしている事柄への恐怖心をかき立てられる。なぜなら、『ドラゴン・ハート ―霊界探訪記―』という映画で本筋に入ってから繰り出されるのが、地獄に堕ちた人たちが目の当たりにする恐ろしいビジョンであり、その身で味わう苦しさや悲しさだからだ。

 穴吹川で遊んでいた最中、竜介と知美は川に落ちて溺れてしまい、そこを謎の竜によって救出される。そして、大歩危小歩危という、これも徳島県にある名所の渓谷に連れて来られた竜介と知美の前に仙人のような老人が現れ、ふたりは死んでしまったと告げる。やりたいことが沢山あるから死にたくないというふたりに、老仙人は霊界をめぐって自分たちが成すべきことを見つけなさいと告げて送り出す。

 そしてたどり着いたのが地獄というわけだが、ここでユニークなのが、いわゆる仏教画の地獄絵図なり西洋の文学や絵画に描かれる地獄とはまるで違ったものになっている点だ。日本的な地獄観なら、針の山だったり血の池だったりといった場所で鬼たちから責苦を受ける亡者たちといったビジョンが真っ先に浮かぶだろう。東京国立博物館が所蔵している国宝の「地獄草紙」にも、黒い岩に潰され赤い炎に炙られ血の川で溺れる亡者が描かれ、地獄とはなんと恐ろしいところだろうと思わせる。

 そうした恐怖のビジョンを見せ、仏教への帰依を促すために描かれたのが、そうした地獄草紙なり地獄絵といったものだ。『ドラゴン・ハート ―霊界探訪記―』はある意味で、幸福の科学という宗教団体によって製作された映画という形の地獄草紙と言えるが、描かれる地獄が同じように身体の痛みや苦しみを感じさせるものかというと、これがまるで違っている。

 まず出てくるのが昭和40年頃を思わせる繁華街で、そこで竜介と知美は悪漢たちが抗争によって痛め付け合う様子を目の当たりにする。次に行くのが病院で、そこで竜介はチェーンソーを持った医師たちによる攻撃を受ける。人の命を助け病気の苦しみから救う病院なら、どちらかといえば極楽に近いポジションだと言えそうだが、どうやら違うらしい。その解釈の独自性が、原作を手がけた大川総裁ならではのものと言えるのかもしれない。

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