2025年のカンヌ映画祭が証明した“カンヌ”らしさ ジャファル・パナヒがグランドスラム達成

イランのジャファル・パナヒが手掛けた『It Was Just an Accident(英題)』がパルムドールに輝き、幕を下ろした第78回カンヌ国際映画祭。過去に『チャドルと生きる』でヴェネチア国際映画祭金獅子賞、『人生タクシー』でベルリン国際映画祭金熊賞に輝いているパナヒは、これでアンリ=ジョルジュ・クルーゾー、ミケランジェロ・アントニオーニ、ロバート・アルトマンに続いて32年ぶり4人目(パルムドールを超越する“スペシャル・パルムドール”を手にしたジャン=リュック・ゴダールを例外とすれば)のグランドスラム達成したことになる。
クルーゾーとアントニオーニの場合は(特に前者の場合は『恐怖の報酬』がベルリンとカンヌの両方を制していることもあり)わずか数年間でグランドスラムを達成しているが、パナヒの場合は25年。これはアルトマンの23年よりも長いスパンであり、初受賞からグランドスラム達成までのあいだに20本以上を手掛けていたアルトマンに対して、パナヒは(単独監督の長編作品に絞れば)半分以下の9本。その事情は、彼のこれまでの経歴を見れば容易に察することができよう。ちなみに2010年に向こう20年間にわたる映画製作禁止の判決を受けているので、まだその期間の真っ只中ではある。

イラン人監督のパルムドール戴冠はパナヒの師にあたるアッバス・キアロスタミの『桜桃の味』以来となり、そのキアロスタミが脚本を手掛けた『白い風船』で長編監督デビューを飾ったパナヒは、同年のカンヌのカメラドール(新人監督賞)を受賞している。その後『クリムゾン・ゴールド』である視点部門の審査員賞、2011年には監督週間の黄金の馬車賞を受賞。コンペ初参加となった『ある女優の不在』で脚本賞を受賞し、7年ぶりのカンヌコンペ参加で一気に頂点へと上り詰めたのだ。
言わずもがな“イリーガル”な立場で製作されている『It Was Just an Accident』は、ある事故をきっかけに始まった出来事が、徐々にエスカレートしていく様を描く劇映画である。ガレージを経営する男バヒッドは、ある時事故を起こしてやってきたエグバルという男が、かつて刑務所で自分を拷問した警官に似ていることに気が付き突発的に拉致。復讐を果たそうと考えるが、その道徳性について考えをめぐらすという筋書きである。
そもそも今年のカンヌは、今後数年間のカンヌがどういう振り方をするのかを決める重要な年であったといえるかもしれない。というのも、昨年のパルムドール受賞作『ANORA アノーラ』がその後、アカデミー賞で作品賞を受賞。数年前に『パラサイト 半地下の家族』も同じ道筋を歩んでいたが、アメリカ映画で、と限定すると『マーティ』以来69年ぶりのことであった。ましてやそれ以前から、パルムドールをアメリカ映画が受賞すると高確率でアカデミー賞作品賞候補に駒を進めている。
そういった点に加え、賞レースの道筋のようなものが、ある種パターン化している昨今。2010年代後半から2020年代前半にかけてヴェネチア国際映画祭のコンペがアカデミー賞を目指すアメリカ映画のお披露目の場として機能し、実際に複数の受賞作を輩出しているように、カンヌのコンペも“そのため”のイベントに様変わりしてしまうのでは、という危惧が少なからずあったことはいうまでもないだろう。

しかし実際のところ、ウェス・アンダーソンやリン・ラムジーのようにオスカーを見据えているであろう作品が選出されていたものの、受賞結果の面でそれらは完全シャットアウト。『It Was Just an Accident』のように作家性を重視し、社会的なテーマ性も携えた作品をチョイスしたあたり、カンヌは今後もカンヌらしいままでいてくれそうである。『The Young Mother’s Home(英題)』でダルデンヌ兄弟がいつも通り受賞(2度目の脚本賞。これまでコンペに10回参加し、2度のパルムドールを含み8作品が何らかの賞に輝いている)を果たしたことも然り。